江草乗の「大人の物欲写真日記」

江草乗のプライベートな日常日記です。

ゆふすげびと

exajoe2007-06-03

 昨日に引き続いて立原道造について書く。写真は立原道造の恋人、水戸部アサイである。彼女は立原が勤めていた石本建築事務所の事務員だった。知り合った頃に19歳だった彼女は何度か立原に同行して信濃追分の油屋旅館に泊まっている。19歳と23歳・・・と考えると誰もが下世話な想像をしてしまうわけだが、水戸部アサイはそのことを質問されて「わたしと立原さんは、それはもう清い間柄でしたのよ」と答えたのだという。立原の死後、彼女は誰とも結婚せずに過ごしたという。20歳の時に最愛の恋人を亡くした女性が、その後の長い人生をその思い出だけで生きるということはどういうことなのだろうか。そして、そんなふうに愛されるということはどれほど幸福なことだろうか。私が最初に好きになった立原道造の詩はこれだ。

         ゆふすげびと

かなしみではなかった日のながれる雲の下に...
僕はあなたの口にする言葉をおぼえた
それはひとつの花の名であった
それは黄いろの淡いあはい花だった


僕はなんにも知ってはゐなかった
何かを知りたく うっとりしてゐた
そしてときどき思ふのだが 一体なにを
だれを待ってゐるのだらうかと


昨日の風に鳴っていた 林を透いた青空に
かうばしい さびしい光のまんなかに
あの叢に咲いてゐた…さうしてけふもその花は


思ひなしだか 悔いのやうに―
しかし僕は老いすぎた 若い身空で
あなたを悔いなく去らせたほどに!

 東京大学本郷キャンパスのすぐ北側にある立原道造記念館には、彼の書いたパステル画や自筆の書簡が数多く展示されているという。もしも彼が24歳で死ぬことなく長生きしていれば、彼は建築家として生きたのかそれとも詩人としてもっと多くの作品を残したのか、あるいは小説を書いたのか。彼の小説(小説と言うよりは長編の詩のようなものだが)「鮎の歌」が載っている現代文の教科書を以前に発見して嬉しかったことがある。自分と同じ趣味の教科書編集者がいたということに驚いたのである。
 立原道造と水戸部アサイが男女の関係でなかったのならば、もしかして立原は童貞のまま死んだのか・・・などとさらに下世話なことを思ってしまう私は、彼の詩の世界の持つ不思議な透明感について考える。もちろんそんなことで詩や文章が劇的に変わるなんてことはただの思いこみに過ぎないだろう。しかし、彼は最後までプラトニックラブしか知らなかったのだとしたら、それなのになんでこんなに恋愛についての詩を書けるのだろうかと不思議な気分になるのだ。

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