江草乗の「大人の物欲写真日記」

江草乗のプライベートな日常日記です。

尾崎豊の思い出

 youtubeでかなり尾崎豊のPVやライブ映像がUPされていることがわかり、それらをひとしきり鑑賞しながらいろんなことを考えた。一時期、彼の曲をよく聴いていたことがあったからだ。中学・高校と自分は一時期まじめに勉強する気を失い、小説ばかり読んでいたことがあった。自転車でいろんなところを放浪した。自分が学校や社会に対して感じていたもやもやしたものの意味が分からずに彷徨していた時期であった。

盗んだバイクで走り出す 行く先もわからぬまま 暗い夜のとばりの中へ
誰にもしばられたくないと 逃げ込んだこの夜に 自由になれた気がした15の夜 (「15の夜」)

 バイクを盗んで夜の街を疾走したところで決して自由になんかなれるわけではない。「自由になれた気がした」だけである。自由の意味を本質的に理解しない限り、いつまで経っても人は真に自由になどなれやしない。そんな15歳から2年後、17歳になった彼は自分の向かう方向を明確に理解する。大人たちは彼にとっていつにまにか攻撃対象ではなくなった。

電車の中 押し合う人の背中に いくつものドラマを感じて
親の背中にひたむきさを感じて このごろふと涙こぼした
半分大人のセブンティーンズマップ(「17歳の地図」)

 「17歳の地図」の中で「何のために生きてるのかわからなくなるよ」と歌い、何のために自分は生きているのかという問いかけ続けた彼はいつしか、自分が求め続けた自由というものが実は「仕組まれた自由」でしかなかったことに気がつく。  

人は誰も縛られたかよわき子羊ならば 先生あなたはかよわき大人の代弁者なのか
俺達の怒りどこへ向かうべきなのか これからは何が俺を縛りつけるだろう
あと何度自分自身卒業すれば ほんとうの自分にたどり着けるだろう(「卒業」)

 尾崎豊の感じたジレンマも、そしてあのスタイルも、すべて彼が社会に於ける自由というものの本質について「見えすぎていたから」ゆえのものではなかったかと、今彼の曲を聴いていて私は感じるのである。この「卒業」が収められた2枚目のアルバム「回帰線」以降、彼の作る曲はきわめて軽快になり、そこには絶叫したくなるような苦しさも、涙を流さずにはいられない感動も存在しなくなった。どこにでもあるありふれたただの歌になってしまい、私は聴くのをやめた。もしもあなたがこれから尾崎豊に触れたいと思うならば、最初の3枚のアルバム「十七歳の地図」「回帰線」「壊れた扉から」と、ライブアルバム「LAST TEENAGE APPEARANCE」で十分である。


 私にとって、自分が大きく変わったというターニングポイントが存在するとすればそれは1988年夏のあの白夜特急の旅の一ヶ月である。その旅のさなか、自分はよく尾崎豊の「17歳の地図」を口ずさんだ。「素敵な夢を忘れやしないよ」というフレーズがとても好きだった。今の自分にとって「素敵な夢」とは果していったい何だろうか。いつのまにか自分はただの中年の汚いオッサンになってないか。理想を追い求めることを忘れて現実生活にどっぷりとはまってしまってるのじゃないか。

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