江草乗の「大人の物欲写真日記」

江草乗のプライベートな日常日記です。

父と暮らせば51(最終回)

exajoe2014-02-12


 「父と暮らせば」シリーズをまとめて読む!

 2月12日 10時12分 父は静かに旅立ちました。
 85年の人生でした。

 お読みくださってありがとうございました。


 伊勢物語の主人公、在原業平の辞世は「つひにゆく道とはかねて聞きしかど昨日今日とは思はざりしを」という和歌です。誰もがいつかは死ぬと以前から聞いていたが、まさかそれがこんなに突然であるとは思わなかったよ」という意味です。父にとって幸いだったのは、癌の告知の後でゆっくりと自分のこれまでの人生を振り返る時間が用意されたことでした。ぎりぎりまで家で家族と一緒に普通の生活を送って、最後の時間を過ごすことができました。父の食べたいものがあればなんでも買って来たのですが、残念なことは味覚障害が出ていて、昔おいしいと思ったものでも味がわからなくなってきているということでした。買ってきたものをおいしいおいしいと言って食べてくれたのはもしかしたら父なりの思いやりだったのかも知れません。お正月が近づくと好物の数の子が食べたいと言ったので何度も数の子を買いました。締め鯖が好きだというのでみんなが鯖を買ってきました。
 ただ、確実に身体の衰弱はやってきました。11月くらいから外出できなくなり、疲れるというのでお風呂に入るのも3日に一回のペースになりました。やがてその入浴も介助が必要になりました。何かにつかまって身体を支えないと歩けないようになりました。その頃には父はもう「残されたわずかな時間」を意識していたのかも知れません。自力でトイレに行くのもかなり困難になってきました。私も家での父の介護に対してそろそろ限界かなと思うようになりました。

 1月27日月曜日、大阪府呼吸器アレルギーセンターの緩和ケア病棟に見学に来ました。ずいぶんきれいな部屋に父は驚いたようで、こんなとこ贅沢やろと言いました。まだ病室が空いてないということだったので、空き次第入院という形で予約を済ませ、帰りに回転寿司が食べたいというので、スシローという店の駐車場にいったん車を停めたのですが、エレベータがなくて、父は階段を登れなかったので、車で移動してくら寿司に行きました。父と二人で外食したのはそれが最後となりました。

 その3日後、1月30日の夜7時半頃に妻から「お父さんが悪寒を訴えてる」と電話がありましたが、仕事をすぐに済ませることができなくて、帰宅したのは9時半頃でした。父はこたつで横になってうずくまっていたのですが、その時に顔が赤いので体温計ではかると40度を超えていて、あわてて救急車を呼びました。動けなくなってる父は小さな声で「このまま逝かせてくれ」と言いました。病院ではレントゲンをとって、血液検査をして、肺炎を起こしてるということですぐに入院と言うことになりました。

 その時点ですでに父はかなり危なかったのですが、いったん回復して元気になると「前よりも調子よくなったわ」などと言うようになりました。そして、「願はくは花の下にて春死なむその如月の望月の頃」と詠んで桜の季節に亡くなった西行法師を引き合いに出して「桜が咲いたら外に花見には行かれへんけど持ってきてや」と言いました。父はまだまだ自分は大丈夫と思ったみたいです。そうしてたくさんの方がまだ元気なうちにお見舞いに来てくれました。逢いたい人みんなと話ができたからもう思い残すことはないと父は語りました。沖縄にいる孫もわざわざ会いに来てくれました。私と妹はできるだけいつも付き添えるようにしていました。子や孫に囲まれて賑やかに談笑する時間がほんのしばらくですが父にもたらされました。 

 最初は病院食をきれいにたいらげるくらいに食欲もあったのですが、だんだん父は食べられなくなりました。亡くなる三日前からはもう固形物は受け付けなくなり、口に入れても飲み込めずにむせるようになりました。声も出せなくなりました。私も妹も仕事を何日か休んで交代して泊まり込んで付き添っていたのですが、父が亡くなった2月12日の朝には二人とも出勤しなければならなかったので、母が代わりに泊まり込んで付き添ってくれていました。最後に母に手を握ってもらって父は旅立ちました。電話を受けて私と妹がけつけた時にはもう父は帰らぬ人となっていました。

 聖書の詩篇には「人の生涯は草のよう、野の花のように咲く。風がその上に吹けばすべて消え失せ、生えていた場所を知る人は誰もない・・・」というフレーズがあります。本当に何もかもなくなってしまうのでしょうか。たとえ命はここで途絶えても、その想いはいつまでもこの世に存在し続け、誰かの心の中に永遠に生きると思いたいです。少なくとも記憶の中に父が存在する限り、父はいつまでも私たちを見守ってくれていると。

人生には多くの別れが存在します。そしてそのほとんどは「これが最後」なんていう意識もなく終わってしまいます。父が最後に逢いたい人全員に会うことができて、ちゃんとお別れの挨拶を済ませられたというのはとても幸せなことだったと思います。

 映画が好きだった父は、今公開されている「永遠の0」という映画を観たいと言ってました。結局その夢はかないませんでした。もう一人では映画館にも行けないので、誰か家族が介助しないといけなかったのですが、父を連れて行けなかったことが最後の心残りです。


ご弔問ありがとうございます。 (←ブログランキング投票ボタンです)