史記を読む中学生
私の手元にあるこのハードカバーの「史記」(徳間書店)は昭和48年発行、当時の価格で1200円である。まだ中学生だった私に読ませるために両親が買ってくれたものだった。白文と書き下し文、そして現代語訳が載っていて、まだ漢文の句法も習っていないのに、私はせっせと史記を読み、そこにある書き下し文と現代語訳を見比べながら、こんなふうに読んだらこんな意味になるのかと思って熱中していた。まさかその十年後に古典を教えるために教壇に立つとは思いもしなかったが。
それほど裕福ではなかったはずの我が家に、なぜか本はたくさんあった。集英社の日本文学全集なんかも88巻全巻そろっていた。まだ小学生の頃、私はその中から芥川龍之介や川端康成を読んでいた。自分が本好きの子どもになる要素はそうした家庭環境にあったのだと思いたいが、同じ家庭環境をもってるはずの私の息子たちはなぜか全く本を読まない。ただ、他の楽しみがたくさんある現代は仕方ないのかも知れない。自分が子どもの頃はゲームやネットなんかなかったのだ。もしも私が現代の中学生ならきっとブログを書いてるだろう。
この史記の1200円という価格は当時としては決して安くないはずである。今の物価と比較してみて1万円くらいの感覚ではないだろうか。(ちなみに右の青い文庫本は今1200円で買える)それを親は買ってくれたのだと思うと、今の自分がこうしてあることはやはり親のおかげなのだと感謝したい。マニアックに中国の古典を読みまくった少年は、漢文の問題ではいつも完璧に得点できる高校生となった。それからずっと自分は漢文で点数を稼ぐことができた。模擬試験でも漢文の所は完璧に解けたので、平均点が低い試験の場合はびっくりするような高い偏差値が出て嬉しかった。
大阪府の教員採用試験の二次試験の時、専門教養の漢文の問題は自分が内容をよく知ってる話だったのであっさり解けた。終わった後でどこかの大学の女子学生が「国文科の人はどうせ漢文なんかできへんから気にせんでもええわ!」と慰め合っていたことを思い出す。すまん、オレは国文科じゃなくて国史専攻だ。
人生には様々な偶然がある。もしも35年前、両親が本屋さんで「史記を買ってやろう」などという気まぐれを起こさなかったとしたら、私の人生は全く違ったものになっていたことは間違いない。それだけは断言できる。
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