江草乗の「大人の物欲写真日記」

江草乗のプライベートな日常日記です。

父と暮らせば34(大阪歴史博物館)

exajoe2008-01-13


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 今日は父と大阪歴史博物館に出かけた。なんでも「粋を極めた大富豪、平瀬露香展」というのをやってると聞いたからである。それをみたいと思っていたのと、父がぶらぶらするから駅まで送ってくれと言ったので、それで一緒に出かけることにしたのである。家からそこまではクルマで40分ほどだった。地下駐車場(1時間400円)にクルマを乗り入れたのだが、機械が林立していて、二段式になっている。そこに慎重にクルマを入れるのだが父は「こんなんやったらよう入れんわ!」と言った。それもそうだと思って納得する。車庫入れや駐車というのを父もだんだん苦手にするようになったのである。他のクルマにどこかで迷惑を掛けてないかが気がかりだ。地上にエレベーターで上がるとNHKの前である。さて、歴史博物館の入り口のところで私は呆然とした。なんと平瀬露香展は1/19からだったのである。がーん、まあせっかく来たのだから常設展示だけでも見ることにして、父と一緒に入ることにした。大人600円×2である。65歳以上が無料なのは残念ながら大阪市民だけである。歴史博物館の常設展示を観るには10階から降りていくことになる。当然そこからは難波宮跡とか、大阪城とかがよく見えるのだ。しかし、ここから見える大阪城、借景がOBPなのである。なんとも無様な写真である。OBPの前の大阪城のなんと貧弱なことか。
 さて、歴史博物館の展示は、時代順になっているので最初はやはり難波宮である。こういう感じなのだ。

 上町台地というの細く突き出た半島のようなものであり、その北端にあったのが石山本願寺の石山城で、難波宮跡はそのすぐ南側に位置する。ただの原っぱと思っていたのだが、歴史博物館から見下ろしたら大極殿のあった付近の基礎がコンクリで固めたような色をしていた。何かこの上に作るのかも知れないなあ。そういえば平城宮跡でも何かしようとしていたっけと思う。
 普通こういう博物館に来ると、展示をやけにゆっくり見る人とどんどん駆け足で行く人と、全く興味がないので一瞬に通り過ぎる人と3種類に分かれる。私は結構博物館的なものは好きなので、ゆっくりと見るほうなんだが、父は輪を掛けてゆっくりの人だった。それで父がのんびりと見てるのに合わせて私もゆっくりと見る。
 さて、難波宮は正式な都だったのだが、少し前に大津京というのがあったのかどうかが新聞で話題になって、JRの西大津駅を大津京駅にするとかで歴史学者が「間違った名前を付けるな」と論争になっていた。大津にはこんな正式な宮が置かれたことはなかったというのがその根拠であり、確かにこれを建設するというのは大変な事業だと思う。そして、こんな大変なのをなぜ簡単に移転したのかということも私は気になるのだ。だったらずっとそこに置けばよかったじゃないかと。まあ平安京はずっと明治のはじめまで存在したのだが、それは貴族が政治の実権を失って、移転するだけのゼニもなかったからなんだろう。
 歴史博物館の展示は、難波宮のあと、歴史を追って行き、大阪の陣のあと江戸時代にそこが蔵屋敷の町、天下の台所として栄えたことなどを映像と展示で紹介してくれる。なかなかゼニがかかっていそうだなとつくづく思う。この展示を作るのにどれくらいゼニがかかっているのだろうか。そして大阪市民の老人が無料ということだからここは大阪市に関係する施設なんだと思うが、そのゼニはいったいどういう意味の支出なんだろうか。大阪にはこういう意味不明の箱モノがかなり多い。南港にある「なにわ海の時空館」とか、維持費だけでものすごくかかっているのに閑古鳥が鳴いてる施設もある。もっとも静かなところで二人きりになりたいカップルにはいい場所なんだが。と冷ややかに私は思っていたが、父はけっこうその展示を眺めて気に入っているようだった。あまり批判的なことは言わなかったが、ただ「カネかかってそうやな」という私と同じ感想は持ったようだった。父も大阪市の借金財政は知ってるからやはり危惧したのだろう。もっとも大阪市民ではない私たちにはどうでもいいことだが。今日は入場料と駐車料金という形で大阪市の財政補填を私たち二人はしっかりとしてあげたのである。

 天満橋のところに船着き場があって、江戸時代はそこから伏見まで一日で行けたという。川を遡るのに船に動力などないわけで、人力でどうやって遡ったのだろうかと不思議に思うのである。下りは半日で行けたようだが。料金も下りの方が安かったのだろうか。もっとも昔はダムなんかないから水量も多かったはずだし、巨椋池という巨大な遊水池が存在して豊富な水量はいつも維持されていたはずで、だったらそれほど流れも急じゃなかったのかと思ってしまう。江戸時代の日本はからくり人形とかの文化があったのだから、蒸気機関くらい誰かが発明できてもおかしくなかったのにと思う。
 江戸時代、蔵屋敷を持つ諸藩は米切手を発行した。その切手を米に換えられるということで実際の先物などの取引は米切手を使って行われたそうなんだが、中には米の収穫高以上に米切手(これを空米切手というらしい)を発行しちゃったという笑えない話もあって、なんだか現代の経済にも通じるモノがあったんだなとなんだか面白い。先物取引も行われていたわけであの時代、どう考えても日本は世界で最初に資本主義経済を実現していたような気がしてならないのである。少なくとも鎖国していた中で国内で自給経済の仕組みがちゃんとできあがっていたわけだ。そのまま日本が開国せずにずっとあの時代を続けていればどうなっていたのだろうかとも思う。
 明治時代の大阪には栄光の時代があった。人口が日本一で、工業も盛んで日本の中心だった時期があったのだ。周辺の農村を合併して市域を拡大し、大大阪市になったことである。展示はそんな昔の栄光を懐かしむ感じで並べられている。確かにその栄光の時期を失ったのはなんだか残念である。船場の町並みとかも模型で再現してあったが、それがすべて灰燼に帰したのは大阪大空襲だった。何もかも焼けてしまってのだ。そのときに失った人命、財産、文化財はどれほど多かっただろうか。展示は基本的にはそこまでで終わっている。もはや戦後の大阪には何も見るべきモノはないということなんだろうか。あと、特別展で深江の菅笠についての展示があった。おかげ参りに使われたという菅笠があった。なんだ、父をよそに自分も結構熱心に見ていたじゃないか(笑)。
 さて、帰りに四天王寺の河藤に立ち寄って、父はそこで自分の食べるお菓子を選んで買っていた。金平糖を買っていたのだが、実は私も金平糖は結構好きなのである。氷砂糖とか、どうも父はああいう砂糖系のお菓子が好きである。時間はもう3時近かったが、中途半端に朝食をとったこともあって、お昼が遅くなってしまったが二人で行きつけの河内天美のお好み焼き屋さんに入ることにした。

 そこで父はイカ玉340円を、私は肉モダン430円を、二人で焼きそば大400円を・・・というわけで合計1170円でしっかりと食べたのである。昨年秋から父はまた仕事をするようになったので、なかなかこうして二人で出かけることがなかったのだが、こうして出かけることを妻はかなり喜んでいる。つまり、私たちが家にいると昼ご飯の支度とかをしないといけないわけだが、いなかったらその世話をしなくていいし、食費も浮くので助かるということなんだろうか。私が遅くなって食べて帰るときも妻は喜ぶ。主婦との感覚というのはそういうものなんだろうか。愛する夫が早く帰ってきて欲しいなんて願うのは新婚時代だけで、結婚して十数年経てば夫なんてうっとおしいただのオッサンになってしまうわけで、そのうっとおしいオッサンが老人介護も兼ねて義父を連れ出してくれるのは妻にとって願ったりかなったりの休日なんだろうかと、ふと考えるのである。

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