江草乗の「大人の物欲写真日記」

江草乗のプライベートな日常日記です。

父と暮らせば

 勤務先のスーパーが廃業して失業した父が家にいる。仕事もないのでのんびり一日家にいて、こたつに入ってテレビを観て、寝たり起きたりの生活である。今日は休みで家にいたので、実家に出かけて不在の妻に代わって私が父の世話をしていた。昼食の準備、その後で飲むコーヒー、私は昼休みを挟んで9時から15時まではネット取引のためにパソコンに向かっていたが、その後はテレビで一緒に「長七郎日記」などを観ていた。里見浩太朗のこのドラマはこういう設定だったのかとはじめて理解する。
 76歳になってやっとのんびりした日常を手に入れた父には、考えたらこれまでの人生で一度も「のんびりする」という日々がなかった。小学校を出て、丁稚奉公に北堀江の問屋街に行き、そこでゲンコツを浴びながら夜学に通う日々。働くようになっても薄給の日々。お菓子(和菓子)を作る職人だった時代もあったらしい。飴を包丁で切ったり、奉天と呼ばれる砂糖菓子を作ったりしたらしい。その後、独立して商売を始めたが、それも軌道に乗るまでは大変だったようだ。3人の子供を育て、それからも商売を続けたが自分の店を廃業すると今度は私の兄が経営するスーパーを手伝い、そのスーパーが兄の放漫経営で破綻すると、今度は別の人が経営する店に働きに行った。最後に働いた店では、高齢なのにかなりの高給をもらえ、しかも若いパートのお姉ちゃんたちに囲まれて楽しい職場だったみたいだ。本が好きで、仕事が終わってからせっせと宮城谷昌光の小説を読んでいたり、テレビの歴史の番組は熱心に観ていた。
 もしも貧乏な家の三男坊になんか生まれてこないで、ちゃんと大学に行かせてもらえるような家に生まれていたら、父は全く別の人生を歩んだはずだ。実は父の小学生時代の通知票があるのだが、10段階評価の10ばかりで、「級長を命ず」という辞令もあった。田舎の学校とはいえ、成績が一番で級長だったのだ。進学せずに丁稚奉公に行くことになった父を不憫に思ったのか、当時の担任の先生が餞別のお金を包んでくれたらしい。それは父にとってびっくりするような金額だったらしい。
 タバコを吸うから煙いとかいう理由で私の妻からは「じゃまもの」扱いされているし、母とは10年近く前に離婚している。実際に離婚状態になってからはもう20年以上経つが。そんな父が人生の最後に手に入れた平穏な日々。私はその日々をしっかりと守っていかなければと思う。今の自分があるのは父のおかげである。自分が運良く人並み以上の能力を手に入れ、大学進学できたのはこの父の息子だったからである。おっと、ここまで書いたら泣けてきたじゃないか。

 いつか、二人で温泉にでも旅行したい。そして、元気に歩けるうちに父を中国やヨーロッパに連れて行ってやりたい。でも、自分が通訳してやらないといけないから大変だろうな。