江草乗の「大人の物欲写真日記」

江草乗のプライベートな日常日記です。

夏の日(その14)悲劇はついに・・・

初めての方は必ずその1(12/17の日記)からお読みください。
 自分はいったい何を望んでいたのだろう。つきあっていた女性と別れて、Mへの片想いを選んだとき、こういう結末ははじめから約束されたことではなかったのか。MがKとつき合いながら私とも逢い続けたということは、私とのデ−トがMにとって遊びであり、浮気みたいなものではなかったのか。Mの意図は何だったのか?

 ようするにMにとって私とは、ドライブに連れていってくれ、おいしいものを一緒に食べて、普通のデ−トをしてくれるそうした便利な相手ではなかったのか。20歳の短大生らしい普通のデ−トを自分も楽しみたかったから、自分に夢中になっている私をとことん利用したのではなかったか。

 朝早く、コンビニでサンドイッチなんかを買って、二人で鴨川の流れを見ながらベンチに座って食べたことがあった。「こんな恋人どうしって感じ、わたしだーい好きだよ。」
Mはそう語ったけど、そんな光景だなんて、貧乏な若いカップルには全く当たり前の事じゃないか。そういう時間もないというあんたとKのデ−トというのはいったいどんな時間だったんだ。

「Kは古武道にも興味があって、縛りなんかもいろいろ知ってるんだよ」

 やめてくれよ。そんな光景を想像したくないよ。
 きみたちがいったいどんな愛し方をし、どんなセックスをしたのか、それは私には無関係だ。でもこれだけは言いたかった。私はMと普通の恋愛をして、普通に結婚して、子供を育ててそんな平凡なパートナーになりたかっただけなんだ。どっぷりと日常性の中で生きたかったんだよ。二人の時間をそのまま日常にしたかっただけなんだ。それがどうしてわかってくれなかったのか。

いや、わかっていてそれできみはなぜ、日常性を共にする私ではなくて、Kを最終的に選んだのか。

 名神高速を180キロで暴走したときにいっそ君を思ったまま死んでしまいたかったよ。『夏の日』が鳴り響く中で。

「せんせーと逢わなかったら、私もKももっといい関係だったかも知れない。」

Mと出逢えなかったら紛れもなく現在の自分はいないのに。

あの夏の日を 確かめたくて 車は南へと 走る 時よ そっと 流れて 時よ 愛を 試さないで  いつも 愛は 揺れてるから こころをとじて 誰も そこへは入れないで (『夏の日』小田和正

「時よ、愛を試さないで」だなんて、なんて悲しい歌詞だろう。試されてしまった者の悲劇を味わう私にとって、あまりにもこのフレ−ズは重すぎた。私はカセットライブラリ−の『夏の日』を封印した。

 私がすべての悲劇を知ったのはMと別れてから1年9カ月後であった。あの別れの電話の直後にKがMを強引に犯したこと。それまで、不思議なことだが、KはMをまだ抱いては居なかったこと。二人のそうした理想的な関係を破壊したのが私の登場だったこと。
Mを抱いたときのKの感情は、嫉妬しかなかったこと。Mはその行為で「妊娠」したかも知れないという精神的ショックでうつ状態になって就職活動を棒に振ってしまい、翌春、単身赴任の父親に付き添って遠い秋田へ去っていったこと。そこでほとんど家に閉じこもって過ごしたこと。

そして、Kがインドへ旅だって消息不明になったことも。

緑の日々編1へ続く