江草乗の「大人の物欲写真日記」

江草乗のプライベートな日常日記です。

階級社会について

exajoe2011-02-05

 職業や学歴が世襲されるようになった時、まぎれもなくそこは階級が固定化された社会なんだなと思うのである。日本はそうした社会になりつつある。それは社会が成熟したということなのかも知れない。だって下克上があるというのは乱世の証拠で、今は世の中が平和で落ち着いているのだから。
 東大や京大という旧帝大や医学部、早慶に進める大学生は全体の6%ほどらしい。大学進学者を全体の半数と見た場合、大学生18人に一人くらいの割合だから、小学校のクラスに1人ずつというところだろうか。それを年収別に見れば、年収1500万円以上の家庭の子弟は39%がそういう大学に進むのに、年収200万以下というワーキングプアクラスでは0.5%しかそういう大学には進めないという。ボリュームゾーンの年収500万クラスでは全体の平均通りに6%くらいだそうである。つまり、金持ちほど幼い頃から教育にしっかりと投資してくれる親が居るおかげで、難関校に入れる可能性が高く、貧しい階級のものがそういう大学に入れるのは200人に一人くらいのごくわずかになるというのだ。
 私の母は昭和11年生まれなんだが、母は子どもの頃に親から「勉強には貧乏も金持ちもない」と聞かされて育ったという。あの頃は確かにそうだったのだ。塾もない時代には小学校だけがすべてであり、そこでちゃんと勉強すれば誰だって成績上位になれた。ただ母の場合は小学生の時に父を失い、中学2年で母を亡くしたわけで、学校の勉強どころではなかったのだが。昭和3年生まれの私の父も、大学進学などのチャンスは与えられず(実は実家の長男に当たる伯父は関西大学に進んでいるのだが、次男である父の方が成績ははるかによかったにも関わらず、父は丁稚奉公しながら夜学に進んだ。もしも父が今の時代に生まれていれば、きっと東大や京大に進んだだろうと思うのである。だから私が京都大学に合格したことは、同時に父が果たせなかった夢を代わりに実現したことでもあった。大学で驚いたことは、同じクラスの学生たちの家がみんな金持ちだったことだった。露天商だった自分の親のように学歴もなく貧乏な家というのは例外中の例外だったのだ。昭和54年ですでに学歴の階級固定化はかなり進行していた。
 ただ、親が高学歴だから子どもも必ずそうなるかというとそうではない。我が家には腐るほど本があるし、私が国語教師だから古典文学関係の本もとても充実している。息子たちは本なんか読まない。次男は今せっせと借りてきた「ワンピース」を読んでいる。だから私は高学歴を次の世代に伝えることはたぶんできない。もちろんそれは私の方針もあって、小さい頃から息子たちを塾に入れてがむしゃらに勉強させなかった、つまりドーピングによって学力向上を狙わなかったからこのようになったのかも知れないが。
 自分の経験から、塾なんかにいかなくても勉強はちゃんとできるものだと思っていた。しかし、今の学級崩壊の小学校や中学校はそんなまともな勉強の場所ではないのかも知れない。塾に行くこと以外に受験競争に勝つ手段はないのかも知れない。
 ただ、部活動に精を出し、友達がたくさん家に遊びに来る息子たちの日常を見ていると、彼らは「受験知」は身につけていなくても「生活知」はちゃんと身に付いているのではないかとも思うのだ。そしてごく普通の人間が世の中でちゃんと生活していくのに必要なのは「受験知」ではなくて「生活知」なんではないかなどとも思うのである。

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