江草乗の「大人の物欲写真日記」

江草乗のプライベートな日常日記です。

受験は結果がすべてである

exajoe2010-03-17

 国公立大学の後期の入試の結果発表もそろそろである。わが家の長男の公立高校の入試の発表も間近だ。
 私が聞いていて不愉快に思う発言の一つは「オレって、本気出せば東大や京大入れたんだけど勉強嫌いだったし・・・」と言って2流3流の私大に入学したヤツが語ることである。そういうヤツに限って「ガリガリ勉強するのって、なんだかダサくってさ!」などと言うのである。全くあきれた話だ。ダサいのはオマエである。そういう話は自分がその受験に勝ってから言うものである。「オレの塾にはすごいヤツがいる」「オレの親戚の兄ちゃんはすごい」「オレの家の近所に東大生がいる・・・・」ふんふん、それで、それがどうしたんだ。世の中で一番つまらないのがこの手の話題である。だってそういう話をしたがるヤツに限って馬鹿だからだ。本当に賢い人間で。しかも厳しい受験戦争に勝ち抜いた者ならば、東大や京大に入るということがどの程度の努力を必要とすることであり、どれほど尊いことであるかを知っている。それを軽々しく話題に出来るのは、その努力を体験したことがなく、部外者としてしか語れない連中である。そうした努力に敬意を払うことができず、「オレだってやればできるんだけど、面倒だからやらないんだよ」とほざくヤツは死ぬまで負け犬である。その本気というモノを一度見せてから同じことを言えよ。
 勉強嫌いなのもやらなかったのも、それはオマエがその程度の人間だからであり、その程度の人間にとって東大や京大に入ると言うことは100%アリエナイのである。努力を馬鹿にする人間ははっきり言ってカスだ。
 もっと早く勉強していれば、もっと早く○○していれば、○○くらいには行けたのに・・・とできなかったことを悔やむのは情けないことだ。だってもっと早く勉強をスタートできなかったのはひとえにあんたの弱さじゃないのか。それができなかったというのがあんたのすべてじゃないのかと。でも人間とは弱い生き物であり、己のふがいなさを認めたくないのでそう言いたがるのである。
 「やればできる」というコトバは弱者への慰めである。実際はやれないからこそ弱者なのである。そしてやれるかどうかというものも素質の一つに含まれるのだ。
 人間の能力は不平等である。素質のある者もない者もいる。その素質がない者であっても必死に努力してそれを克服してるものもいれば、すばらしい素質があるのに努力しないでムダにするヤツもいる。
 私が塾嫌いなのは、塾というドーピングシステムは時に素質のない人間に錯覚を起こさせることがあるからである。もしも塾が、素質があるけどそれを伸ばせていない者のために使われるのならばさほど問題はない。全く素質のない人間が塾という手段でドーピングをして結果を出した後、そのドーピングの後遺症で心身に異常をきたして破滅したりすることである。そういう生徒はごく少数だが存在する。中学受験を突破しただけで燃え尽きてしまうのである。その後の6年間を何もしないで過ごして大学受験を迎える生徒もごくマレに存在する。そういうヤツはプライドだけは高くて「早慶しか行かない」などと豪語するのである。いやいや、早慶はきみみたいなやる気のないヘタレはいらないって。

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