江草乗の「大人の物欲写真日記」

江草乗のプライベートな日常日記です。

勉強をするかしないか

exajoe2009-10-14

 今、隣の部屋で妻が次男に勉強を教えてる。入射角とか反射角とかいう言葉が飛び交う。中学の理科のお勉強をしているのである。その会話を聞きながら私は思うのである。どうして学校できっちり理解しないのだろうかと。教室で授業を受ければ、おそらくその部分の説明はちゃんと教師がやってくれるだろう。そのときにどうしてその場で理解できなかったのだろうかと私は不思議に思うのである。
 私は小学生の頃、宿題を家でやらない子どもだった。学校で練習問題を解くとき、他の生徒が10分くらい掛かってる時に3分ほどであっさりとできてしまって時間が余るので、教科書の中に載ってる例題を全部解いてしまったりしていて、仮にそこが宿題になってもすでに解いてしまった後だから家でする必要がなかった。親に宿題を教えてもらった記憶は一度もない。小学校や中学校の頃、ふつうに学校でやってることで解けない問題などまずあり得ないことであり、たまにケアレスミスで計算間違いしてたり、記号で答えるのを語句で答えてしまったりなんて失敗はあったけど、満点とれるのが当たり前だった。だからといって自分が特別勉強が好きだったわけではない。遊ぶことの方がはるかに好きだった。ただ、勉強をやるべき時にはちゃんとやっただけのことである。
 だから妻がゲームばかりしている次男を叱りつけていることにはなぜか違和感を感じてしまうのである。果たして勉強とはしなければならないものなのだろうか?もしも本人が「オレは馬鹿のままでいい!」「偏差値の低い高校で馬鹿に囲まれて過ごすのがいい」と望んでいたとして、その価値観を間違ってると否定できるだろうか。人は誰しも自分の好きな場所を選ぶ権利がある。馬鹿の世界を好むなら、そこで親が「もっと賢い人の世界に上昇しなさい!」などと押しつけることは正しいのだろうかと思うのである。
 上昇志向というのは本人が内発的に持たないと意味がない。それが押しつけられたものである場合、必ず本人が不幸になると思うのだ。素質もないのにスパルタ式の塾に入れられてストレスで人格崩壊してしまう子どももいる。努力できるかどうかも一つの才能である。
 母は私に向かって「自分の子なんだから、もっとわかりやすく教えてやりなさい」と言う。「わかりやすく」っていったい何だろう。知識というのは本人が努力して手に入れないと何の価値もないと私は思うのである。突き放した考え方かも知れないが、大学に入りたいと必死になるのならもっと学習に対して前向きになるはずだ。水を飲もうとしない馬に水を飲ませることはできない。「学歴なんかなくてもいい」と思っている者に勉強させるのは難しいし、勉強しないで学歴だけ欲しいヤツはもっと御しがたい。
 最初の模試でびっくりするような偏差値をもらって返ってきた長男が、だから反省して机に向かうでもなくゲームをしていた。受験まで半年もないというのにお気楽すぎて驚く。長男は記憶力には自信があるみたいで、プロ野球のこととか妙に詳しい。だから社会や理科もこれから集中して覚えたらなんとかなると思ってるのだろうか。なんともならないよ。
 でもそこで「やりなさい!」と命令することに果たして意味があるのか。
 今の偏差値が40として、偏差値40の高校に進むことと、努力して45の高校に入ることの間に果たしてどの程度の差があるのか。40の高校は中退率が3割で喫煙率が4割、45の高校は中退率が2割で喫煙率が2割なら後者の方がマシなのか。トップクラスの公立高校以外はさして差がないのが現実である。
 受験勉強という小手先の技術を磨いたところで頭が良くなるわけでもないし、生きるための知恵がつくわけでもない。そんなことよりも人間として大切な思いやりの心とか、誠実さとか、人を愛する気持ちとか、そんなものを身につけて欲しいと思うのである。しかし、勉強しない子どもはたいてい人間として大切なこともどこかに置き忘れることが多いのである。

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