遊ぶために学校に行くクソどもへ
底辺校と呼ばれることの多い入学試験の偏差値の低い高校では、もはや授業など成立せず生徒はずっと遊んでいるという。教師が教室にやってきても生徒は平気で休み時間と同じように遊んでいるそうである。受験者が全員入れる底辺の大学も同じような状況である。こういった勉強する気のないクソどもは、世界にはこのような現実があることをどう受け止めるのか。出典は11月14日の中日新聞の記事である。
「勉強したい」貧しさでかなわず… 小6少女自殺、比社会に衝撃2007年11月14日 朝刊
【マニラ=吉枝道生】フィリピン南部ミンダナオ島ダバオ市で、小学校6年生の少女(12)が自ら命を絶った。貧しさを苦にしたとみられ、子供の自殺がほとんどない同国で衝撃が広がっている。
地元紙「インクワイアラー」などによると、少女はマリアネット・アンパーちゃんで、今月2日、自宅で首をつって死亡。少女の家は電気も水道もなく、貧困層が住む地域の中でも特に貧しかったという。 自殺の前日、少女は学校で必要なものを買うため、父親から100ペソ(約260円)をもらおうとしたが、建設作業員の父親は仕事がなく、お金を渡せなかった。翌日に父親は借金をしてきたが、少女は既に命を絶っていたという。母親は工場などで働いていたが、収入はわずかだった。 死後、少女の枕元から手紙が見つかった。視聴者の望みをかなえる人気テレビ番組あてで、「私の望み」として「勉強を全うすること、自転車、学校のかばん、靴、両親の仕事」を挙げていたが、投函(とうかん)されることはなかった。 少女は交通費や食費が足りずに学校に行けないことも多く、学校の隅で泣いている姿が何度も目撃されていた。 フィリピンではカトリック教徒が多いこともあって、子供の自殺はほとんどみられず、議論が沸騰。政府の責任が問われる中、アロヨ大統領は飢餓・貧困対策として、10億ペソ(約26億円)の追加拠出を表明した。また、自殺した少女の家族には、仕事の提供や寄付などの申し出が相次いでいるという。
日本では多くの恵まれた高校生大学生が、恵まれた環境にありながらろくに勉強もしないという現実がある。馬鹿しか集まらないような大学にも補助金が与えられ、そこで多くの馬鹿学生は遊ぶために日々を費やすのだ。そんな無駄な補助金があるならすべてカットして、ODAの形でこのような「学びたくても学べない現実のある国」を支援するために使うことはできないのか。日本のODA予算は減少し続けている。ダムを造ったり港を作ったりというインフラ整備のためには惜しげもなく散在されてきたゼニも、そうした必要がなくなってくるとどんどんカットされてしまうのだ。このような不条理を前にして我々は何をしないといけないのか。ニートでも生活していける日本という国のお気楽な状況は決して永遠に保証されているわけではない。危機意識がなさすぎるのである。
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