福島原発の存在する意味について
福島には原発が必要だった
という記事を読んだ。
大学進学率、女性の早婚率などのデータが示されていて、福島県という過疎の地域の抱える悩みがよく伝わっていた。そういえば昔、全国の教育系の学部の就職に関する資料で、福島大学の教育学部が教員就職率が1位であるというデータをどこかで読んだことがある。最下位は神戸大学教育学部だったからかなり前のデータだ。(今は神戸大学の教育学部は改組されてなくなったはず)教育学部でも神戸大や横浜国大は一般企業に入っていく率が高いわけで、地方の大学の教育学部のように「教員にとにかくならなきゃ」という切実さが違ったわけだ。
福島県民、特に原発の地元に住む人の複雑な気持ちを率直に書いてくれたすばらしい内容だった。
ところが、そのコメント欄に、本当に読解力の足りない方々というのか、「あなたは推進派ですか?」という決めつけしかできない人が気分の悪くなるコメントをしていた。もちろんそれは一部で、多くのコメントはとてもいい意見でいろいろと考えさせられたのだが。そしてレスが着いて、コメント欄がとても長くなっていて、読むのに時間が掛かった。
そのブログの一部を引用します。
福島には原発が必要だったんです。
40年前から、あの日あの時までは。
東京の大手メディアは事故が起こると、一目散に逃げました。でも地元の報道局はずっと被災者の声を伝えていました。そこには原発で働く人やその家族、原発関係者で成り立っていた地域の人たちの声もありました。農業や漁業で働く人たちと同じくらいに、ちゃんと取り上げられていたのです。農家。漁師。原発関係者…。それは複雑な構図ですが、それぞれ生の声でした。
原発は必要でした。
首都圏のために電気を送って、地域はその代わりにあらゆる恩恵を受けました。
だからといって今回の事故を許してはなりません。
ずさんな安全管理と隠蔽体質による、人災なのだから。
福島県民よ、引け目を感じるな!そう言いたい。
たとえ協力会社の社員を身内に持っていたとしても、私たちが先頭に立って東電を糾弾していくべきです。
農業も漁業も少しずつ元に戻っていくかもしれません。
それでも福島は「原発事故のあった土地」として世界中に記憶されてしまいました。残念ながら事実です。県民はそれを受け入れなくてはなりません。そしてそれでも生きていくために、風評被害と戦うんじゃなくて、風評を逆に利用するくらいのあざとさで、新たな産業を開拓していくしかない。そう思うのです。
原発は必要だった。
でも、もういらない。
原発はもういらない。
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