悲しいときにはまんじゅう
別れにはまんじゅうがつきものである。葬式にはまんじゅう、卒業式にもまんじゅうである。クラスメイトとの別れの儀式が卒業式なら、葬式は故人との別れの儀式である。その別れの儀式になぜまんじゅうがあるのか。
ということを深く考えてるのは私のような変人だけで、たいていの方はただ食べてオシマイなんだろうなあ。この紅白のまんじゅうを私は一つ食べて、もう一個をそのままテーブルの上に放置していたら母がいつのまにか食べていた。
そのときにふと私は、大学の卒業式でもらった貴重なまんじゅうが、その権利者である私の口には全く入らず、家族がすっかり食べてしまっていたあの遠い日のことを思い出した。「京大のまんじゅうはうまい!」と父が食べた後で言った。卒業式に配るまんじゅうまでもが大学の中で予算化されていたということに当時は不思議な驚きを覚えたのである。ただ、そのまんじゅうを食えなかった悔しさはその後もずっと私を苦しめた。
もう一度大学に入学しなおす以外にあのまんじゅうを手に入れる方法はないのだろうか。
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