江草乗の「大人の物欲写真日記」

江草乗のプライベートな日常日記です。

誰かの人生に深く関わると言うこと

 今の私学に移籍する前の10年間、私は大阪の片田舎の公立高校で教師をしていた。そこでは長く進路指導の係をしていた。公立の中堅校というのは、生徒の受験する学校選択に関して教師のアドバイスの占める意味はとても大きい。私はそこで進学担当として、高校3年生の授業を教える傍ら、模擬試験の成績処理を行い、大学や短大の推薦入試のランキング表を手製で作り、個別の生徒の進路相談に乗り、大学や短大、専門学校の方と面談し、学校説明会や懇親会に参加し、予備校主催の入試研究会にも出て週に3回も4回も出張していた。過労で倒れて3週間入院したこともある。人生の中であんなに忙しかった日々はないと思うし、その頃に自分はたぶん一生分の労働をしてしまったような気がしている。朝8時から夜8時〜9時までが自分の勤務時間だったが、その時間内に小テストの採点やノートの点検、試験の採点などするのはとても無理なのでよく家に仕事を持ち帰っていた。
 それまで手作業だった成績処理をコンピュータでするようになったのもそのころで、自分は実力試験の成績データと生徒の進学先や受験の結果を、NINJA3というカード型データベースで処理できるよう仕組みを作るのに全力を尽くした。その結果、パソコンで検索するだけで簡単に生徒の成績と受験のデータが引き出せるようになった。まだHDDが40MBとかだった時代だ。一学年のデータはFD一枚分に格納可能だった。
 そんな忙しい時間の中で、どうして自分は色んな生徒と面談する時間が取れたのだろうかと不思議に思う。クラス担任はよくもてあました生徒を「進路指導室で訊いてこい」というふうに私の所に送ってきた。生徒との面談というのは他のすべてに優先する仕事だと、当時進路指導係の私は認識していた。
 短大の推薦入試に不合格になって、自暴自棄になってる女生徒がいた。英語も国語もどちらかというとかなり出来ない方に属する彼女が志望するレベルの短大にはいるのはかなり困難だった。私は彼女を授業で教えていたのだが、短大の受験失敗の後は授業態度も実に投げやりになった。私は進路のことと、その授業態度のことも注意したかったので進路指導室に彼女を呼んで話をしたのだった。このまま受験を続けて次のチャンスに賭けるのか、それとも専修学校などに志望を変更するのか。英語や国語が出来ない彼女に私は一つの選択肢を示した。
 「おまえ、化学勉強してみえへんか? 化学一科目で受験できる短大があるんや・・・」
 彼女はその私の勧めに応じて、化学の勉強をはじめた。私は懇意にしてる化学の教師に「面倒見てやってくれ」と頼んだ。約一ヶ月、彼女の特訓は続いた。その甲斐あって、彼女はとある短大に進学した。その学科は栄養士の資格が取れるコースだった。合格させればもうそれで進路指導係としての自分の仕事は終わりである。彼女のことなど自分はとっくに忘れていたし、その後私は公立高校を退職して私学に移籍することになった。なおのこと自分が進路指導した生徒のその後のことは忘れていた。
 ある日、通勤帰りに立ち寄った書店で私はいきなり若い女性から「センセイ!」と声を掛けられた。なんと、昔自分が「化学一科目での受験」を勧めたその女生徒だったのである。「センセイ、センセイに一度逢ってお礼しないといけないと思っていたんですよ。今の仕事できてるのはセンセイのおかげだから。あのとき受験を勧めてくれたから今の仕事できてるんです。」
 彼女は短大で栄養士の資格を取った。それがあったからある一部上場企業の子会社に入り、そこでクッキングスクールの講師として働くことになったのだという。親会社も誰もが知ってる優良企業だし、なにより彼女は安定した収入と職業を手にしたのである。それを訊いて私はとても嬉しくなった。過労死寸前まで働いていたあの日々が決して無駄ではなく、ちゃんと生徒の進路実現に役立っていたという事実を知ったからである。
 もしも自分という進路指導係の教師に出会わなかったら、彼女の現在はなかった。それはたぶん事実である。自分はあのときに将来の職業にまでつながる選択肢を彼女に用意してしまったのである。進路指導というのはそこまで誰かの人生に深く関わる立場なのだ。自分のようなふまじめで暴言ばかり吐いてるような不完全な人間にはおよそ勤まらない職務なのだ。あの頃自分はその責任の重さについてどれほど認識していただろうか。
 「ボクが京都大学を受験しようと思ったのはセンセイに出会ったからです」などと私に向かって言ってくれる殊勝な教え子がいるがやめてくれと言いたくなる。私みたいなオッサンが勧めるまでもなく京都大学は進学するだけの価値がある大学だし、キミは優秀な生徒だ。だから今キミが京大生であることはその必然の結果にすぎない。そう私は答えることにしている。
 教師として誰かの人生に深く関わることの重責からいつか自分は逃れる日が来るのだろうか。人が人に影響を与えるとはいったいどのような意味があるのか。そんなことを時々考えるが答えなど出ることはない。ただ一つ思うことがある。それは書店でのあの偶然の出会いの時に思ったことだ。

「ありがとう。そのひとことは最高に嬉しいよ。もういつ教師を辞めてもいいよ。やるだけのことはやれたから。」

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