時間がないということ
一日が自分だけ30時間あればどれだけいいだろうかと思う。毎日時間に追われて過ごしている。仕事はたくさんあってなかなか片づかない。やるべきことは多数あるのに、自分がそのために使える時間は驚くほど少ない。そういうわけで少しも仕事が片づかない。「忙」という文字は「心」を「亡くす」と書くのだが、何事にも余裕がないということはメールをなかなか返信できなかったり、ゆっくりと話が出来なかったり、そんなもろもろの余裕のなさである。きっと人はそういう時間のやりくりに追われてある日突然ブログを閉鎖したりするのだろう。
自分にとって、暴言コラムを忙しくてもちゃんと更新し続けるということの意味はどこにあるのだろうか。今のアクセス数は毎日更新を継続したからこそ達成できたものであると思っている。
実は最近、ブログではないサイトを一個作りたいと思ってるのだ。それは京都の観光案内の総合サイトである。タイトルは「秘密の京都」(京都裏デートマニュアル)というものを考えている。自分だから知ってる秘密のスポットを紹介し、同時に京都のお店と提携してそこからの広告収入をがっぽり手に入れ・・・というふうにうまく作れないかということである。
自分が時間を掛けてそういうサイトを作ればきっと多くの来客を集めることが可能だろう。しかし、そのための時間をどうやってひねり出せばいいのか。
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