江草乗の「大人の物欲写真日記」

江草乗のプライベートな日常日記です。

雨のせいじゃないんだぜ

ラジオがニュースを伝えている。「雨のせいで事故が多発しています・・・」雨のせいなんかじゃないぜ。ヘタクソのせいだ。その証拠にオレのように運転の上手なドライバーは雨だからとか雪だからと事故を起こすことはない。雨の場合どれだけブレーキが効かなくなるとかそういうことがわかっていないヘタクソが事故を起こす。雨のような自然のせいにして「自己責任」を回避するようなそんな考え方にオレは反発したい。

オレが共通一次試験を受験した年、試験制度に対する批判が巻き起こった。「こんな方法では本当の学力は測れない」そうか。だったら本当の学力ってなんだ。「簡単な問題で半分も得点できないヤツらは馬鹿」という論陣を張った評論家はなかった。オレは朝日新聞に「合格するか否かは努力の結果、試験の形式のせいにするなんておかしい」という投書を載せた。すると「ぼくは見事に落ちた浪人生です」という反論にもなっていない泣き言の投書がまるでその投書の答えのように掲載された。そこにオレは朝日新聞の偏向をしっかりと理解した。「この新聞社にとって、オレみたいな意見はみんなの批判にさらしてやろうという意味しかないのだな」と。後にオレが学歴社会の利点について書いた投書には「学歴社会の功罪」という客観的な題名ではなくて「学歴社会は正しい」と挑戦的なタイトルが付けられてしまうことになる。勝手なことしやがって。おかげでオレには「馬鹿を差別する人間」というレッテルが貼られてしまう。差別などしていない。区別してるだけだ。そしてオレは努力しないで文句だけを言う馬鹿という人種が本質的に大嫌いだ。

「貧乏人でも努力さえすれば自分の望んだ大学に入れ、望んだ職業に就くことができる。」

これをオレはジャパニーズドリームと呼びたい。お金を掛けて塾に入れたり有名進学校に無理やり入学させても、素質がなくてしかも本人が努力の出来ないヘタレである場合はやっぱり学歴は手に入らない。学歴とは「カネだけでは買えない価値」としてやはり存在するものだとオレは思っている。

しかし、それは「容姿」「家柄」「資産」「人柄」などといった他の特徴と比較して突出したものとは呼べない。容姿や家柄が努力ではどうにもならないものであるのに引き換え、学歴はある程度努力次第だという部分が違うだけである。容姿が美しいということはそれ自体大きな価値だと思うし、それを武器にすることをオレは否定しない。たとえどんなにものぐさな人間でも家柄が天皇家というだけで絶対にプータローになることはない。もしもオレがそんなやんごとなき家柄に生まれてきて努力の必要がなかったら受験勉強なんか絶対にしなかっただろう。そんなこと当たり前だ。

非行に走ったのは社会のせいなのか? 馬鹿になったのは教師の教え方が悪いのか? 交通事故は雨のせいなのか。この世には自己責任ということの意味を理解しない馬鹿が多すぎる。オレはそんな情けない人間になるくらいなら死んだ方がマシだ。