江草乗の「大人の物欲写真日記」

江草乗のプライベートな日常日記です。

老女の入れ歯と警察官

 警察官の不祥事はよく報道されるが、こうした美談はほとんど知られることがない。しかし、日本には不祥事を起こすわずかな警察官の何百倍も、こうした立派な警察官がいるということを忘れてはならない。
 いや、立派でもなんでもない。これがふつうの警察官の姿なのである。日本の警察というのは世界に誇れる立派な組織である。

老女の入れ歯と警察官
産経新聞 1月24日(火)7時55分配信
【from Editor】
 昨年暮れ、東京・JR中央線国分寺駅前。冷たい小雨が降る中、80歳を超えた老女が路上で急にしゃがみこんでしまった。
 苦しそうに顔をゆがめ、もどしそうになっている。路上を汚したくなかったのだろう。側溝の穴の開いた所までなんとか移動して、激しく嘔吐(おうと)した。
 「カラン、カラン」
 その時だった。老女の口元から何か物体が出て、側溝のコンクリートにぶつかり、少し跳ね上がって穴の中に落ちてしまった。
 老女の総入れ歯だった。嘔吐の激しさのあまり、勢いではずれて口から出てしまったのだ。
 悄然(しょうぜん)とする老女。コンクリートの蓋(ふた)を持ち上げようとするが、ピクリともしない。開いたままの傘を路上に置いた老女を小雨が容赦なく打ちつけた。
 すると、老女はふと思い立ったように歩き始め、駅前の交番にたどりついた。窮状を必死に訴える老女に、若い警察官はやや困惑気味だった。
 老女に連れられるようにして、警察官は側溝のところまで来た。重たいコンクリートの蓋をようやく持ち上げた。下のくぼみは暗く水がたまり吐瀉(としゃ)物があった。
 老女が傘で中をつつき、探り始めた。「この辺にあるようです」 警察官は、側溝のくぼみに腕を突っ込んだが、入れ歯はない。ついには、肩口まで腕を入れて探し始めた。側溝のそばにも老女の吐瀉物があった。そこに、老女は持っていたビニール袋をかぶせた。せめてもの気遣いだった。警察官はそこに、片手を置いて作業を続けていた。
 「あった!」。警察官がくぼみから出した手に、入れ歯が握られていた。
 老女と警察官は手を取り合って喜んだ。「ありがとうございます。ありがとうございます」。泣きそうな顔で老女はいつまでも頭を下げ続けていた。
 2日ほど、床に伏して、老女の体調は回復した。老女は、交番の所轄警察署を「あのおまわりさんのことを署長さんに話したい」と訪問した。
 応対した署員たちは、最初は、老女の唐突な話に面食らったようだったが、老女の熱意にほだされ、あの駅前交番の若き警察官を呼んでくれた。老女は額を床につけるようにして、土下座してお礼を述べた。署員たちは立ち上がってこの光景をみつめていた。
 最近、いろいろあるが、こういう警察官も当然、たくさんいる。(編集長 近藤豊和)

 これは何ヶ月か前の記事である。

1 ...「津波が来る」 命賭けた警察官へ祈り絶えず
2011/09/29 10:14更新 Sankei EX
「大きな津波が来ます。高台に避難してください」「津波が来ます。急いで避難してください」
 震災発生直後のようすをとらえた映像で、轟音(ごうおん)や悲鳴に混じって途切れ途切れに聞こえる拡声器の警察官の声が耳に残る。最後の最後まで住民に避難を呼びかけていた、あの警察官は無事でいるのだろうか。
 映像には、車のない港の堤防沿いの道を走るパトカーもあった。アナウンスしながら逃げ遅れた者がいないか確認しているようだった。あのパトカーは津波から逃げ延びたのだろうか。
 ■感謝のメッセージ
 岩手県宮古市鍬ケ崎(くわがさき)の宮古漁港は損壊した跡は残るものの、魚の積み込み作業が行われ、活気が戻っていた。その傍らにある宮古署港町交番は今も無残な姿をさらしている。勤務していた2人の警察官は津波にのみ込まれ、殉職した。
 交番には花束が手向けられ、国旗が掲げられている。誰が津波で汚れた国旗を洗ったのだろう。
 「お勤め、お疲れさまです。安らかにお眠りください」。折り鶴とともに高校生のメッセージ。「鍬ケ崎のためにありがとうございました」という書き置き。ひとつひとつ読んでいると、がれきの向こうから路線バスがゆっくりと走ってきた。前から2列目に座る老女が窓越しに交番に向かって、静かに手を合わせるのが見えた。
      □□□
 5人体制の港町交番で、中村邦雄さん(54)と村上洋巳さん(43)は、その日非番だった。地震発生で2人は官舎から自主参集で署に上がった。制服に着替えた中村さんは家族に「じゃあ、行ってくる」と軽く声をかけた。
 2人は津波警報でごった返す署からパトカーで漁港周辺に向かった。小野寺勝善副署長は「記録はないですが、自らの判断で持ち場の住民誘導に行ったのでしょう」。中村さんと村上さんが激しい口調で高台への避難を呼びかける姿が多くの人に目撃されている。港に防潮堤はなく、第1波で周辺が浸水した。立ち往生した救急車から搬送中の病人を救助しているところを第2波が襲った−。
 3月14日パトカー発見、4月4日に村上さんの遺体が発見された。中村さんの遺体はいまだに見つかっていない。
 住民が供える花や飲み物が絶えぬ港町交番。すでに取り壊しが決まっている。
 ■疫病と闘った巡査
 2年前の夏、佐賀県唐津市肥前町高串の増田神社を訪ねた。JR唐津駅からレンタカーで山道を抜けると、目の前は海を挟んで長崎県だ。山にへばりついたような高串は小さな漁港と温泉以外、何もないように思えた。中学生だろうか、釣り竿を持つ男の子に増田神社の場所を聞くと、「『増田さま』は先の二股を右です」と教えてくれた。
 明治28(1895)年、新米の増田敬太郎巡査はコレラが流行していた高串に赴任する。当時は防疫も警察の任務だ。現場を一目見た増田巡査は感染拡大の原因は隔離の不徹底と判断した。すぐさま感染者を隔離し、交通を遮断、誰も手を出そうとしない遺体を背負い、埋葬した。そして、赴任3日目に発病する。
 「村人の世話をするために来た私がかえってお世話になるようになり、申し訳ありません。高串のコレラは私が背負っていきますからご安心ください」。その翌日、増田巡査はこう言い残して死亡、25歳だった。
 遺言通りコレラは収束、以来、高串で伝染病の流行はなく、地元の人々は感謝の思いで巡査を神様とあがめるようになった。巡査を火葬した小松島は神聖な島とされ、漁師は島に一礼してから沖合に向かう。
 毎年7月の夏祭りでは、白馬にまたがる巡査の山車が繰り出される。最期まで住民の命を守る使命を全うした巡査は「警神」と呼ばれている。
      □□□
 今回の震災で多くの警察官が警神となった。死亡・行方不明は宮城県警14人、岩手県警11人、福島県警5人。女性警察官もいる。多くは避難する住民の最後尾で任務を全うした。
 私たちは、父を失った子に、夫を失った妻に、子を失った父母に何ができるだろうか。神社とは言わないが、最後の任務をできる限り詳細に記録し、遺族に残しておきたい。
 「みんなを助けようとして最期まで『みんな逃げて』と叫んでいたんだよ。最期まで警察官だったんだよ」。遺(のこ)された幼い子にそう言い聞かせることができるように。警察官だった父を、夫を、子を自慢できるように。いつまでも遺族や住民の胸に残る警神であってほしい。いくら感謝しても足りない一国民の願いである。
 (将口泰浩/SANKEI EXPRESS)

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