江草乗の「大人の物欲写真日記」

江草乗のプライベートな日常日記です。

ブログや日記を書いて得たもの

 いつも読んでいるこのブログに少し触発された。
 ネット上に文章を書くようになってからもう10年くらいになるのだろうか。そこで失ったもの、手に入れたものについて考えてみた。失った最たるもの・・・それは時間である。それ以前の自分は暇なときは本を読むか、ゲームをするかしていた。PC9801で遊べるさまざまなゲームを楽しんでいたのだ。光栄の「三国志」や「信長の野望」などのシリーズである。その頃遊んでいたものはいまでも復刻版で買うことは出来る。

 メールを書いたり、日記を書いたりするのにはかなりの時間を必要とする。NIFTYのBBSで私は「教師EXAの悩み」というシリーズをずっと書き続けてきた。シリーズものはその後も「変態古典授業」「チョコレート革命試論」と続く。NIFTYでは「参照王」というありがたい称号もいただいた。つまり一番よく読まれる書き手だったということである。(もっとも「罵倒王」というガラの悪い言われ方もされていたが。)その後NIFTY BBS#8の書き手の多くは活動の場をインターネット上に移してしまい、私もその一人として送ればせながらサイトを開設し、最初はそこに昔書いた文章をちまちまと置いているだけだった。一日の参照者も数名(すべて知人のみ)という状況が続いた。さるさる日記というところで「江草乗の言いたい放題」を書き始めたのが2002年の11月。それ以後毎日更新するようになってこうして今に至るのである。日記の読者はずっと右肩上がりで増加し続けたおかげで、今自分のサイトに置いてある古い文章も多くの方に読んでもらえるようになった。たとえば次の絵本
100万回生きたねこ (講談社の創作絵本)

100万回生きたねこ (講談社の創作絵本)

についての長い評論である「100万回生きたねこ試論」は多くの方に読んでもらえることとなった。
 失ったものは「つまらないことをして過ごせる時間」である。ゲームをしてる時間なんか本当になくなった。せっかく買ったのにプレイできていないゲームがたくさんある。老人になればゆっくりやれるだろうなどと今は考えてるが、実際に老人になった時は残り少ない貴重な時間をそんなことになど使えないと思うのかも知れない。得たものはネットを通じての多くの人との交流であり、出会いである。オフ会と呼ばれるものにも数多く出席した。ネットで得た出会いは自分にとって人生の宝物であることは間違いない。さて、こうして考えると自分にとってプラスの方が多かったことになるのだが、果たしてそうだろうか。日記を書き続けるということは多くの批判にさらされるということでもある。事実書いた内容によっては多くのはてなブックマークがつけられ、抗議のメールが届く。日記にリンクさせている掲示「罵倒座談会」でもどんどん議論が広がって果てしなく長いツリーになることがある。感想を書いてくださった方のコメントにきちっと返事をすることで誠実に対応することを心がけているのだが、話がどんどん発展していってもはやどう返答したらよいのかわからなくなるときさえある。しかし忙しくてコメントを返せないと「無視された」「不誠実だ」という罵倒をさらに受けることになるのである。これは掲示板をリンクさせていることの宿命である。しかしそうして掲示板を付けていなかった場合はかなりの数のメールが届いて、もちろんこちらの対応能力を超えてしまえばもっと「返事も来ない」などの言われ方をすることになってしまう。時間は有限である。その中で何を優先させるかは難しい。
 つまらない時間を捨てて、充実した時を得た・・・のなら収支はプラスのはずだ。でも心のどこかにそのつまらない時間を愛してる自分がいる。一日中パソコンに向かってゲームをしながら過ごしていた頃の自分をなつかしむ気持ちは今でもある。あんな頃もあったんだなと。おそらくそんな風に時間を使えることはこれから15年くらいはないだろう。今でも時間を切りつめて使っていて睡眠時間は5時間くらいしかとれていないのに。
 
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