江草乗の「大人の物欲写真日記」

江草乗のプライベートな日常日記です。

日記の中で他の日記書きを話題にすること

 日記書きさんの世界には、いろんな交流がある。私もかなりの数の日記を毎日読んでいるし、そのうちのいくつかの日記は掲示板に参加したり、オフ会で他の日記書きさんと逢ったりする。しかし、「日記書きの世界」というのはいくらブログがブームであるとしてもネットの世界のごく一部の限られた世界であり、そこでの話題は内輪の話題である。私が暴言コラムで取り上げるのが常に時事問題や街の情けない事件であるのは、それが「誰が読んでもわかる」内容として普遍的だからだ。暴言コラムを読む人のうち、日記才人経由で読む(つまり基本的に日記書きさんの世界の住人)の数は多くて500人程度、それは一日のアクセス数4000〜5000の一割強である。だから、多くの日記書きさんのように、他の方の日記を話題にすることはない。
 もうかなり前のことなのだが、私の日記の中のある内容(それははっきり言ってふざけて書いてるのであり、ネタそのものでまじめにとってもらっても困るのだが)に対して、「○○はおかしい」と書いている他の方の日記を見つけた。日記才人のランキングのかなり上位の方である。それに対してその方のシンパと思われる方が掲示板で「わたしもあの暴言は鼻につくんですよ」という賛同する意見を書いていた。私が不思議に思ったのは、その方がふだんは「ほのぼの系」の日記を書く方であり、どうしてそんな反論を自分の日記の中で書くのかということに違和感を覚えたからであり、結局の所私がわかったのは、その方が私に対してあまりいい感情を持ってないということだった。 
 メールをやりとりしたこともない、もちろん逢ったこともない、ただ日記才人のランキングにあることで存在がわかるが、内容は私にはほとんど興味のない内容なのでたまに題名を見て気が向いたときに開くだけで、自分について触れられてるのを見たのも本当に偶然なのだが、ただそのときに思ったのは、「こいつはオレに対して悪意にも近い敵意を最初から持ってるんだ」ということだった。
 ただ、そうした悪意には長いネット生活でもう慣れっこである。それは、自分というのはかなり「敵を作りやすいキャラである」という自覚だ(笑)。私の存在そのものが許せないという人はかなり周囲にいるということである。私は馬鹿な人間や無礼な人間が嫌いだと日頃から公言してるが、この世は馬鹿と無礼者に満ちている。
 公立高校に赴任したとき、ある教師から言われた。「うちの生徒はオチコボレです。オチコボレのこたちは、あなたのようなエリートが大嫌いです」 食い詰めてこんな田舎に流れてきた自分がエリートだなんて思いもしなかったし、文学部なんてダメ人間の吹きだまりみたいに思っていたから、自分がエリート視されることは相当面食らったが、その教師が自分みたいな人間を大嫌いなんだと知って納得した。
 人間とは嫉妬心の強い生き物である。他者に嫉妬されるということは、自分はそうした他者の持たない何かを持ってるからである。自分に嫉妬心がないのはつまり自分は欲しいものをほとんど全部手に入れてきたからである。宝石やブランドものや自家用ジェット機や風俗店の割引券を欲しくないのは、そんなものに興味がないからである。今自分にないものは「勝手気ままに好きなことをする自由」と「時間」だけだ。