江草乗の「大人の物欲写真日記」

江草乗のプライベートな日常日記です。

清原軍団の罪

exajoe2016-02-21


 シャブ中清原がいたということは、きっと若手選手にも蔓延していたんでしょうね。清原の子分と言えばM木でしょうし、こいつもシャブ中になってる可能性は高そうですね。M木には本当に潔白なら出てきてもらいたいけど、今なら毛髪とかで覚醒剤ばれるし、そもそも一度シャブ中になった人間が自力でやめることなど無理ですからね。
 シャブ中選手がいたということで、巨人軍の管理責任は問わないといけないでしょう。巨人をプロ野球界から追放することも含めて。

 以下のテキストは、松井秀喜がいかに巨人軍に失望して大リーグ行きを考えたかに関して、個人的に推測してみた論考です。
  松井秀喜と清原和博

何が起きていたのか? 清原和博容疑者が古巣・巨人を「震撼」させていた
ITmedia ビジネスオンライン 2月18日(木)8時18分配信

清原の“巨人時代の黒歴史”が立証されるのか
 その衝撃はいまだ沈静化していない――。元プロ野球選手・清原和博容疑者が覚醒剤所持容疑で逮捕されたことだ。
 逮捕から半月以上が経過し、新たな疑惑も多々浮上してきている。その中の1つが、現役時代から覚醒剤を使用していた疑い。最近、いろいろなメディアに実名で登場している元同僚投手が巨人在籍時代の清原から再三に渡って依頼を受け続け、自ら売買の仲介役となって覚醒剤や薬物を渡していたことを暴露。清原が巨人戦の試合で薬物漬けになりながら本塁打を放ったことなどショッキングなエピソードまで明かし、再び球界に激震を走らせている。
 取材を重ねてみたところ、清原が巨人時代に覚醒剤やその他の違法薬物に手を染めていたことはほぼ間違いないようだ。もし今後ハッキリと「クロ」になってしまったら、巨人にもこの問題は必然的に飛び火してくる。
 それでも巨人としては、あくまで無関係であることを強調し続けたいようだ。清原はOBとはいえ、現在は何らかの形で球団に携わっているわけでもなく、巨人との「縁」は完全に切れているからである。ただし、そうは言っても犯罪者にまで落ちぶれた清原の“巨人時代の黒歴史”が改めて立証されてしまったら、やはり取り返しのつかない事態へと発展してしまう危険性は高い。
 しかも巨人はタダでさえ一大スキャンダルによって世間からの目が厳しくなっているのが現況。昨年秋に発覚した所属選手の野球賭博問題だ。これによって球団訓「巨人軍は紳士たれ」の有名無実化までもが危惧されている。
 地に落ちかけているイメージを回復させるべく高橋新監督のもとチームはさわやかな新風を吹き込もうとしていた矢先に、まさかの清原逮捕で巨人関係者は再び青ざめることになってしまったのである。できることならば何とか臭い物にはフタをしたいというのが、巨人側の本音かもしれない。
●巨人が管理責任を認めたくない理由
 だが清原が1997年から2005年までの9シーズン、巨人のユニホームを着ていたという事実は消えない。さらにその期間中、すでに“クスリ漬け”となっていたことまでも濃厚と見られ始めているのだ。普通に考えれば、その当時のチーム体質が疑問視され、清原に対する管理責任についても追求されて然るべきだろう。
 しかしながら巨人には、どうしてもそれらを認めたくない理由がある。球団内には「自分たちの球団も清原の被害者」といういまだ強い“清原アレルギー”があるからだ。
 かつて巨人在籍時代の清原はスーパースターの座を確立していたが、球団にとって明らかな厄介者にもなっていた。2000年ごろから清原は自らを中心として一軍選手数名をメンバーに加えた「清原軍団」を結成。2002年オフに主砲の松井秀喜ヤンキースに移籍するとチーム内のタガが外れ、清原軍団は一気に幅を利かせるようになっていった。
 この勢いに増長するかのようにして特に清原軍団で当時「ナンバー2」と呼ばれていた某選手は陰湿な“若手いびり”を行っていた。それだけでなく当時の巨人番記者を恫喝(どうかつ)したり、威嚇(いかく)したりするなど傍若無人な振る舞いをチームの内外で繰り返し、大ひんしゅくを買っていた。
 球団関係者によれば「ある若手選手は遠征先の飲み屋で、この某選手に奥さんからもらった大切なネックレスを引きちぎられたこともあった」というから耳を疑ってしまう。この某選手の暴走を許してしまった最大の要因は、いまさら説明するまでもなく清原軍団を結成した「番長」の清原だ。
●巨人サイドを大混乱に陥れる
 この時代の清原はそれなりの成績を残していたかもしれないが、とにかくグラウンド外の行動はとても誉められるようなものではなかった。2001年オフには、それを象徴するような出来事が起こる。年末の格闘技イベントに試合出場するとのウワサが広まり、本人もその気になって一気にヒートアップ。最終的に試合には出場しなかったものの、真相確認に追われた巨人サイドを大混乱に陥れたのだ。
 格闘技の試合にプロ野球選手が出場すれば、当然のようにケガのリスクも伴う。仮にいくらリップサービスの部分が強かったにせよ、プロ球団に所属する主力選手としては余りにも軽率な行動であろう。さらに遠征先では毎晩のように豪快に飲み歩き、チーム内で若手の模範となるどころか秩序を乱す存在となっていた。
 そういう存在であったにも関わらずファンからは「番長」と呼ばれて絶大な人気と熱烈な支持を得ていた。これに歯止めをかけようとしたのが、2004年に巨人監督に就任した堀内恒夫氏(現参議院議員)だ。その堀内監督はチーム内で“ガン”となっていた清原軍団を解散させるべく、まずはリーダー・清原のイメージ改革に乗り出し、就任早々から報道陣に「清原を『番長』と呼ぶな」と訴えた。
 しかし、その試みもあっさりと失敗。清原人気が一向に衰えず、各メディアも「番長」のニックネームを使い続けたからだった。そして逆にこれが清原との軋轢(あつれき)を深めることにつながり、両者の関係は修復不可能な状態へと向かってしまうことになる。
●「ハイタッチ拒否事件」の一部始終
 2004年のシーズン終了後には堀内監督がムード悪化の元凶となっていた清原を構想外とし、他球団へのトレード放出を試みた。だが契約を1年残している清原が球団事務所に直接乗り込んで「編成権は監督にあるのか、フロントにあるのか」と直談判。事前に清原は懇意にしていた一部朝刊スポーツ紙に当時の滝鼻卓雄オーナーへ直談判することを裏情報として流しており、その当日に一面掲載させる用意周到ぶりを見せていた。
 大々的にアドバルーンをぶち上げることでファンの同情を買う狙いは、まんまと成功。清原は堀内監督だけでなくフロント幹部も同調していたはずの自らのトレード話を急転直下で撤回させた。
 こうしたゴタゴタがありながらも居残ったことで、その後の清原はますます巨人にとって手が付けられない「番長」となっていく。200万円以上もするダイヤのピアスを両耳につけて試合に臨んだだけでなく、「全身にタトゥーを入れたいんや」とも漏らして周囲をあ然とさせた。
 2005年8月4日に広島市民球場で行われた広島戦では前代未聞の騒動も引き起こす。試合前に打順が7番であることを当時の山本功児ヘッドコーチから伝えられた清原は納得せずに激怒。ベンチでおもむろに携帯電話をかけながら、受話器の向こうの相手に「今日な、7番やで! 7番! 阿部(慎之助捕手)より下や!」とこれ見よがしに記者の眼前で叫んだ。
 そして試合では4回に本塁打を放ち、ベンチ前で迎えた堀内監督や選手、コーチの出迎えを“完全スルー”。これが、あの「ハイタッチ拒否事件」の一部始終だ。ちなみに、この時の清原は球団広報を通じて「怒りの一発や!」とのコメントを口にしている。チームは崩壊の一途をたどっていった。
●“清原の亡霊”に悩む
 いいようにして清原に引っ掻(か)き回された巨人は2005年も3年連続でV逸し、8年ぶりのBクラスとなる5位へ転落。堀内監督は就任から2シーズン、1度もリーグ優勝を果たせないまま辞任に追い込まれた。そしてとうとう清原も同年限りで契約を更新されず、東京都内のホテルでその旨を告げられたのは当時の清武英利球団代表からだった。
 球団内からは「清原をまったくコントロールできなかった当時のウチも確かに反省しなければいけない。でも、あの悪夢の時代はもう二度と思い出したくないですよ。それが今になって“清原の亡霊”に悩ませられるなんて……」との嘆き節も聞こえてくる。
 容疑者となった清原は、10年前まで自身が頻発させていた悪夢を再び思い起こさせるかのように古巣・巨人へまた多大なダメージを与えようとしている。
(臼北信行)

 問題は、清原がシャブ中であることをチームメイトがみんな知っていて、それを黙認していたということなんですよ。こんな球団は球界から追放すべきですよ。今からでも遅くない。


投票ありがとうございます。(←ランキング上昇に協力お願いします。)

楽天カードに入会すれば2000ポイントプレゼント。
恋人にはマウスを贈ろうキャンペーン中! 激安メモリを買うなら上海問屋 上海問屋 互換インク即売所
windowsXPプレインストールのノートパソコンがたったの3万で買える!
格安価格で本を書う  アマゾンのエコストア
江草乗にメールを送る人はここをクリック      江草乗応援プロジェクト