ありがとう矢野燿大捕手
矢野選手の名前はやはり長年親しんだ輝弘の方がしっくりくるのである。
あんまり文字は変えて欲しくないなあと思うのだ。
これは一ファンの希望である。
長男と甲子園に野球を見に行った日は、どしゃぶりの降雨コールドで試合は早めに終わった。そのときに長男が喜んだのは、矢野選手のホームランが出たことだった。3塁側アルプススタンドで観戦していたのである。
あの長い阪神の暗黒時代、最大の弱点は捕手だった。1990年代、阪神の正捕手は山田勝彦だったが「打てない」「守れない」でいつも見ていられなかった。私が記憶する最悪の場面は、盗塁した一塁ランナーが転んだのを刺そうと焦って大暴投して、送球がセンターに転がったことである。こんなへたくそな選手は高校野球にもいないと悲しんだのである。
中日からやってきた矢野が正捕手になって、やっと阪神は優勝争いできるチームになれたのである。山田には悪いが
ある意味阪神の暗黒時代を象徴する選手だったと思っている。(もう一人は猪俣投手かな。あと、12球団でもっとも年俸の安い4番打者だった桧山進次郎か。桧山のセカンドゴロという名物もあったっけ。)
城島が入団して、その矢野も出場する機会を失ってしまった。
阪神・矢野引退表明、故障右ひじ回復せず
2010年9月3日(金)19時42分配信 日刊スポーツ
阪神の矢野燿大捕手(41)が3日、大阪市内のホテルで記者会見し、今季限りで引退することを表明した。痛めていた右ひじの回復が思うように望めないことなどが理由で「心技体が全部あって初めてできる仕事。すべての面で1軍の戦力になることは、できなくなってきたかな」と心境を語った。
矢野は2008年オフに右ひじを手術。翌09年は開幕に間に合わず、終盤に右くるぶしを骨折したこともあって30試合の出場にとどまった。今季も右ひじ痛で6月8日に出場登録を外れるなど、出場は8試合。以降は2軍で調整を続けていたが、20年の選手生活を振り返り「僕が想像していた以上に素晴らしい野球人生を送らせてもらった。最高の野球人生だった」と話した。
矢野は1991年にドラフト2位で中日に入団。98年に阪神に移籍後は主力として2003年、05年のリーグ優勝に大きく貢献した。
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