江草乗の「大人の物欲写真日記」

江草乗のプライベートな日常日記です。

いつしか花咲かなむ

exajoe2009-05-12

 受験生は驚くほど古典文法がわかっていない。わかろうともしないのかも知れない。センター試験の古文の問題を見て、いつも私は「なんでこんなのを間違うのだろう」と不思議に思うのだが、彼らが間違う理由の一つとして古文というのが現代文とは違った一つの文法ルールを持ってるという事実を全く理解していないということがある。
 たとえば表題の「いつしか花咲かなむ」だが、これを正しく口語訳できる受験生は一割も居ない。90%以上の受験生はとんちんかんな訳をする。ちゃんとこれを「早く花が咲いて欲しい」と訳せる受験生は10%もいない。逆に言えばいまこの表題を見てすぐに訳を言えた受験生はその10%の勝ち組に属するのである。
 最も多い誤訳は「いつになったら花が咲くのだろう」である。およそ60%の受験生はこのように訳す。そのくせ、なんでそうなるのか?としつこく問うと、何も説明できないのである。説明できないような訳ならしない方がマシである。ろくにわからないものを適当にフィーリングでわかったつもりになってる馬鹿な受験生が多すぎるのである。
 未然形に接続する「なむ」というのは「願望」の意味の終助詞である。でもまぎらわしいのは、「なむ」という形でしかも「願望」の意味があっても終助詞ではない時もある。たとえば西行法師の著名なこの和歌である。
 願はくは花の下にて春死なむそのきさらぎの望月のころ
 「春死なむ」の中に「なむ」が入っていて、口語訳も「春に死にたい」となる。しかしここを品詞分解すると、「死な」+「む」である。「死な(ナ行変格活用の未然形」+「む(意志の助動詞、ここでの意味は願望)」となるのである。
 「我を知らなむ」というフレーズを生徒に訳させると、「わたしを知らないだろうか」などというトンチンカンな訳が返ってくる時がある。そういうときは深く脱力する。「私を知って欲しい」と訳さないといけないのである。
 さて、西行の和歌の「む」との違いがわかってきただろうか?
 願望には二つあるのだ。それは「自分が〜したい」という自己実現の願望と、「他者に〜して欲しい」という他力本願の願望である。
 終助詞でそれを表現する場合、前者は「ばや」、後者は「なむ」を使う。「花咲かなむ」とは言えても「花咲かばや」とは言えないのである。もっともそいつが植物人間なら別だが。
 少なくともセンター試験古文で満点を取りたいと思うならば、まず古典文法を完璧に理解すべきである。せめて助詞・助動詞をわかってからチャレンジすべきである。

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