江草乗の「大人の物欲写真日記」

江草乗のプライベートな日常日記です。

オームの法則

exajoe2008-07-24

 中学2年の長男の夏休みの理科の宿題のプリントがある。電流と電圧、抵抗なんかを計算する問題である。なかなかなつかしいのだが、妻は「物理は全然わからない」と言って参考書を開いて勉強している。だったら私がさっさと長男に教えてやればいいわけだが、その宿題を見ていてふと思うのである。「こんなものできて当たり前だろ!」と。私がここで公式や計算方法を説明したとして、それはきっと学校でも同じ説明がなされてるはずなのだ。なんでそれをわざわざ家で聞くのか。
 もしもその宿題の中に、たとえば灘高校の入試問題に使われるような高度な問題があって、基本的な知識だけではとうてい解けないような難問があるのならそれを私に質問するのはわかるけれども、宿題の中にそんな問題がないことは一目でわかる。みんな基本例題ばかりである。そんなもの、ちゃんと授業受けたらわかるだろと思うのである。それらは学校で習ってることであり、何も知らない知識を新たに必要とすることではないし、そんな宿題は出ないはずである。私はいつも思うのだが、こういう宿題を「わからない」と言って親に質問する子どもは、いったい学校で何を聞いてるのかと。授業中にちゃんときいてないからわからないのであり、それを家で教えてやっても結局は「学校で聞いてなくても家で教えてもらえる」の繰り返しである。
 自分は小中学生の頃、親に宿題を聞いたことなど一度もなかった。そんなことを親は教えられるとは思わなかったし、学校のことがわからないのは学校で解決すべきことだと思ったからである。わからなかったら授業が終わってから聞けばいい。それを放置してるのは自己責任である。
 ろくに辞書もひかずに英単語を「これ何」「冷蔵庫はなんていうの?」「この単語は何」と聞く息子を見てると、自分とは決定的に違うものを感じる。おそらくこういう態度からは学力向上は無理だろう。
 だったらちゃんと勉強するように教育してやればいいのか?
 私はいつも「人間はなるようにしかならない」と思っている。勉強と言うことに対してそんなふうに横着になってしまった人間が、これから変わるとも思えないのである。「なにごともあきらめが肝心」と言うと妻から殴られそうである。 
 受験勉強というのは強い目的意識によって支えられている。勉強に対して受け身であり、わからないときに「わかりません!」と開き直ってしまえるような馬鹿は、死ぬまで馬鹿のままでいろよと思う。わからないことは恥ずかしいことであり、特に授業で習ったはずなのにわからずにその問題が解けないなんてことはむちゃくちゃ恥ずかしいことであり、そんなことは必死で克服しないといけないことだとちゃんと思えるような人間が向上するのである。そんな哲学を持つ私に向かって「わかるようにていねいに教えてあげて」と言う妻は、私の本質を全く理解していないのだろう。私は「教え方」にケチをつけてそれがわからないことの理由であるように振る舞う人間が大嫌いである。わかろうとする真摯な姿勢が欠けてる人間にはどんな教え方も効果はないし、そもそも学校で本来ちゃんと理解すべきことをわからずに帰ってくるような人間には、勉強をする資格はないと私は思ってるからである。
 こんなことを書くと「あんたみたいになんでもわかるような人には劣等生の気持ちはわからない」と妻から返されそうだが、私は「授業中にちゃんと聞いていなくてわからなかったくせにその自己責任を認めようとしない馬鹿」というのが本質的に嫌いなのである。

投票ありがとうございます。(←ブログランキング投票ボタンです。7/21 20:15現在で56位です。かなり回復したけどなんとか50位以内に入りたい!)


楽天カードに入会すれば2000ポイントプレゼント。ENEOSカードは特典いっぱい!
恋人にはマウスを贈ろうキャンペーン中! 激安メモリを買うなら上海問屋
windowsXPプレインストールのノートパソコンがたったの3万で買える!
格安価格で本を書う      激安中古パソコンはこちら
江草乗にメールを送る人はここをクリック      江草乗応援プロジェクト