江草乗の「大人の物欲写真日記」

江草乗のプライベートな日常日記です。

忘れ物についての考察

exajoe2008-07-17

 授業に必要な教材を忘れてくる生徒が必ず存在する。これは成績のよいクラス、そうでないクラスに限らず存在する。ただ確率的なことを言うと、成績のよい特進クラスは忘れ物が少ない傾向があるがもちろん皆無ではない。前日にカバンの中味をきちっと確認して・・・という習慣がないのだろうか。そんなもの当たり前だろうというものを忘れてくるのだ。たとえば授業である問題集を使用するとする。その問題集を持参しない生徒が必ず存在する。もちろん忘れてくるのはその生徒が悪いのだから、放置していてもわけだが、そういう馬鹿はその時間に他の科目の内職をしたり、隣の生徒に見せてもらおうとして机をくっつけた結果隣とおしゃべりしたりする。だいたい高校生にもなって、隣に机をひっつけて・・・なんて見苦しいことこの上ない。

 忘れ物をする生徒は堂々としている。威風堂々として「忘れました!」と高らかに宣言するのである。こいつは救いようがないと心の中で思う。そして、その困ったちゃんの相手をするために授業が無駄に費やされることも忘れてはならない。それだけ迷惑がかかっているのである。今の世の中はそうした行為に対して驚くほど寛容だ。きっと幼稚園や小学校で叱られたことがなかったのだろう。あきれてしまうが、そんな育ちなんだから仕方がない。これはもうそれまでの生育歴の問題である。

 そういうわけで、私は忘れ物をするごく少数の生徒のために、教材のプリントを余分に持参したりする。つまり、授業でやる問題集の該当ページをわざわざ印刷して数枚用意しておくのだ。そうして、忘れてきた生徒に配り、忘れ物のペナルティとして平常点を減点する。

 忘れ物をしてもプリントを用意していてくれる先生ということで親切な教師だと思ったら大間違いで、実は私はその愚かさに深く絶望しているのである。プールにはいるのに海パンを忘れてきたらフリチンで泳ぐのか? 戦争をするときに銃を忘れてきたら素手で戦うのか。学生にとっての教科書やノートは、兵隊にとっての銃であり、プールでの海パンくらいに重要なものではないのか。私はそう思うのである。この考えは間違っているのだろうか?

 教材を忘れてくる生徒は多いが、弁当を忘れてくる生徒はほとんどない。学校とは勉強をする場所であり、弁当を食う場所ではない。教材を忘れてきたら周囲に迷惑が掛かるが、弁当を忘れてきても困るのは自分だけである。それなのに生徒は弁当は絶対に忘れないのに教材は忘れるのである。なんと哀れなことだろうか。孟子はこのように語っている。人は財物をなくしたら必死で探すのに、心をなくしても探し求めようとはしないと。弁当の方が教材よりも大切な生徒たちというのは、学校で何が一番大切なのかということを忘れている。

 私はとりあえず忘れ物をする生徒の存在を想定して準備している。しかしこれは親切でも何でもない。哀れみであり、侮蔑であるということを言っておきたい。学習に必要な道具さえ準備できずに、手ぶらでやってくる馬鹿に対して、はっきり言って教えたくなんかはない。そんなヤツは教室から出て行って欲しいくらいである。

 そんな愚か者に対して、教科書をコピーしたプリントを用意してやるということは、オシッコを自分でできない赤ん坊に紙おむつをしてやるのと同じレベルの手助けである。つまり、忘れ物をした生徒に渡されるプリントというのは紙おむつみたいなものである。赤ちゃん扱いされて恥ずかしいと思うなら、忘れ物なんかせずにちゃんと授業の準備をしてくるべきなのだ。

 追記:公立高校に勤務していた頃のことだが、書道を選択してる生徒の中に書道の道具を忘れてくる馬鹿が居て、その時間何もしないでぼーっとしているということを聞いたことがあった。そんなレベルのヤツに対していったいどう対処したらいいのか。私は何も対策が立てられないのである。買い物に行って「財布忘れましたけどください」みたいなことを平気で言えるようなヤツが増えてるということだろうか。

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