格差社会
最近の大学生は講義中にメールを打ったりすることが普通らしい。レベルの低い大学に行くと、DSやPSPで遊んだりしてるらしい。そういう話を聞くと、そんな連中の収容所を「大学」と呼ぶことが果たして正しいのかと思う。私は以前からそういう大学のことをいつも「ニート収容所」と呼んでいる。そこを「学舎(まなびや)」であるとはとても呼べないからだ。どうしてこんなことになってしまったかというと、大学進学率が向上しすぎて、大学が増えすぎて、勉学に不向きな人たちまでかき集めないと定員を満たせなくなったからである。そこに補助金が投入されるのだから実にばかばかしい。そんなことなら大学の数を半分に減らして、その分補助金を手厚くして授業料を下げさせて・・・と思うのであるが、おそらく文部科学省は大学を自然淘汰に任せようとしてるのだろう。いずれ倒産が相次ぐことは明白だからだ。だが、大学倒産の前に起きる「馬鹿が大学を埋め尽くす」という非常事態のもつ恐ろしさについて何も文部科学省は考えていないのだろうか?
今教えてる高校生たちが30歳になったとき、格差社会が進行していればその10人は成功者一人と敗者9人になるという。一人だけが年収1000万であとの9人は200万・・・ということだ。200万ではとても豊かな生活は望めない。そんな時代にどうやって若者は夢を持つことができるのだろうか。それとも自分だけは勝ち組の方に入れると思ってがんばるのだろうか。もっとも、授業や講義をを聞かずに寝てるような馬鹿者どもは、今からもう負け組宣言をしてるのかも知れない。社会はそうした大衆をどう抱えていくのか。勝者は敗者をどう扱うのか。
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