時により過ぐれば民の嘆きなり八大竜王雨やめ給へ
画像はさっき食べた白ごまプリン。記事本文には無関係である。
3年前にもこういうことがあった。私はうち続く雨のことを思い、いつまでも終わらない梅雨を思い、日記を書いた。それは源実朝が雨乞いならぬ雨やみの歌を奉納したという故事に基づいたものである。今から3年前のことである。
当時の日記から内容を引用しておきたい。
時により過ぐれば民の嘆きなり八大竜王雨やめたまへ
(恵みの雨も、時によって降りすぎると民の嘆きになります。八大竜王よどうか雨をやめてください。)長雨に困窮する民衆のために、彼が名ばかりの将軍とは言え、為政者としての責任を果たすためにただ一心に念じた和歌である。実朝は万葉調を意識したのでもなければ、この歌がすぐれた作品であるという自負があったわけでもない。ただ心の底からあふれ出る心情を素直に歌っただけのことである。そして、天賦の才というのはそういう時に発揮されるのだ。推敲して苦心することもなくただ思いのままに和歌を吐き出せばそれが珠玉の作となる。天才とはそういうものだ。きっとすぐれたブログライターも指が勝手にキーボードの上を動くのだろう。
参考日記:時により過ぐれば民の嘆きなり
そうした大雨による水害に対して、どう対処すればいいのかという答えはない。いちおう 8月2日の日記ではそのことに触れたつもりであるのだが、それがすべてでもない。書き出せばいくらでも思いつくことはある。
日本には空き家が756万戸もあるという。その一方で災害の危険にさらされている家もあるのだとか。そういうことであれば、どうして安全な家への住み替えがもっと進まないのか。どうして人は望んで危険な場所に家を建てたり居住したりするのか。そんなことも思ったのである。
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